설교
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主の家に住む人たちの祝福
(詩篇 84:1-7)
加古川国際キリスト教会 趙聖模 牧師
詩篇 84:1-7 主の家に住む人たちの祝福
東日本大震災とツナミと原発事故によって苦難におかれているこの民族、国の上に神様の慈しみと哀れみを与えてくださるよう切に願います。
この地の上で最も幸せなものとは、神様を本当の自分のものにすることです。この世のあらゆるものなどを捨てるとしても、神様に向けた信仰だけを最後まで守るのです。
この詩はダビデの名前が出でいませんが聖書学者たちは彼の詩と言います。この詩はダビデの息子アブシャロムの反乱によってエルサレム城へのがれている状況で作った詩と言います。特別に詩人は神様の住まいを愛します。この住まいは神様の家です。それでは詩人は神様の家をどのように慕っていますか。
1、 詩人が神様の家を慕う方法
1) 主の住まいを恋慕う。1節
*あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。*
神様は、みすぼらしい住まいでもどんなに愛するか知れません。聖なる礼拜は外的な環境に支配を受けません。何故ならば聖なる美しさは霊的なものだからです。神様に仕えた所は草幕や宮廷がすべて天の国になるのです。
詩人は神様のお家(殿),近くに巣を作った小さな鳥たちを羨みます。これは神様の家を慕う彼の心が非常に純粋なことを意味します。ダビデ自身もそのような鳥たちようになりたいと思うのです。彼はたびたび鳩のように広野に飛びさって休むのを願ったこともあります。(詩55:6) そのようなさびしさがあるにもかかわらず彼は神様のお家で住むことを願ったものです。
すなわち、我らの人生の真実の安息所はただ神様の懐なのです。
私たちも主のめぐみのドアが開いている時に、主の住まいへ速く入って行かなければなりません。
いつも救いの門が開かれているのではないのです。私たちクリスチャンが神様の家、すなわち教会を愛するということは非常に重要なのです。何故ならば教会は神様の血潮の値で買った所だからです。同時に教会を去っては救いがないからです。そうですので私たちは主の住まいを愛さなければなりません。(イザヤ66:10、12)
2) 神様に会えますように願います。2節
* 神様に絶えるばかりです* 詩人は全身と魂が望む熱烈願いです。息子の反逆によってエルサレム聖殿に近付けることができない環境かも知れないです。ですので人間が享受することができるすべての栄耀栄華と権勢を享受したと言っても神様に礼拜することができる住まいがなければどれほど切ない事でしょう。
詩人は神様の宮廷にまた入って行きたくて身もだえる祈ります。
詩編65編2節には *祈りを聞かれる方よ。*と証言します。私たちの神様は祈る時に聞くお方です。
彼がそのように慕うことは実は神様の住まいよりは生きていらっしゃっ神様にお会いする事でした。彼は霊的に回復するために全能なる神様にお会いするために切実に叫んだのです。私たちは礼拜時間ごとに聖なる神様にお会いしなければなりません。礼拜は神様にお会いする時間です。
3) 神様をほめたたえます。 4節
* 我らは、いつも、あなたをほめたたえています。*
メティユヘンリ牧師が言うにわこの地の上に天国があったら、それは神様を持続的にほめたたえることだと言いました。そのため私たちは持続的に神様にほめたたえなければなりません。
乾いた霊の喜びを湧き出る秘訣はほめたたえる事です。
(詩96:1、4、 98:1、6、 102:17-18)
そうして私たちは日々神様に讚美をささげ惠みと平安に満たされるようになります。
2、聖なる礼拜を慕った人等が受ける祝福
1) その力は、神様から得ます。5節
*その力は、なたにあり、* この力は霊的な力です。(イザ40:31)
この力を得ると暮しにくい世の中で疲れなくて、新しい力を得るようになるのです。それだけでなく力を得てもっと得て歩み出します。一度だけ力を得ても生き生とするのにもっと力を得ることで神様に向かて進むようになります。
2) 安全な所へ至るようになります。
ここで力と言うのは要塞化になったことを意味します。力を得てもっと得て神様の身近に行くとますます神様はより一層私たちを安全な道へとで導きます。
結論:
この地の上に安全地帯はないです。神様の国に入ってこそ安全なのです。
東北地域の地震とツナミと放射能によって不安と心配にかられても恐れないでください。神様の家に戻って来る人たちに神様は盾になってくださり、みなさんを安全な所、あの天国へと導くことでしょう。主の祝福なる惠みがみなさんとこの国とこの民族の上に共にあられますように切に願います。